水は少なめ、酸素は多め。シクラメン栽培の常識を覆すプロの科学
- GREEN OFFSHORE info チーム

- 11月12日
- 読了時間: 5分
冬の訪れを告げる花として、日本の家庭で長年愛されてきたシクラメン。その鮮やかな色彩と優雅な姿は、寒い季節の窓辺を彩る馴染み深い存在です。多くの人が一度は育てたことがあるか、贈り物として受け取ったことがあるのではないでしょうか。

しかし、その親しみやすい見た目の裏には、私たち一般の園芸愛好家の常識を覆すような、驚くべき科学とプロフェッショナルの技が隠されています。実は、シクラメンの生産は非常にデリケートで高度な技術を要します。その証拠に、日本国内におけるシクラメンの出荷量は、この20年間で実に36.7%も減少しているという事実があります。
なぜ、これほどまでに愛されている花の生産が難しく、そして縮小傾向にあるのでしょうか。この記事では、プロの生産者が実践する「意外な栽培テクニック」を4つのポイントに絞って解説します。そこには、植物の美しさを最大限に引き出すための、科学的根拠に基づいた深い知恵が詰まっていました。
1. あえて乾かし気味に育てる。美しさを引き出す『スパルタ』栽培法
「植物には水をたっぷり」というのが一般的な考え方かもしれません。しかし、プロのシクラメン生産現場では、その逆のアプローチが取られています。例えば、イトウナーセリーのような専門農家では、あえて「乾かし気味に栽培」するというテクニックが用いられています。
これは、植物を甘やかすのではなく、少し厳しい環境に置くことで、植物本来の力を引き出すための方法です。水分を制限することで、シクラメンは徒長(ひょろ長く育つこと)せず、株全体が小さく、葉や茎が引き締まった「カチッとした様相」に育ちます。このコンパクトで頑健な株は、見た目が美しいだけでなく、病気にも強くなります。過剰な水分は根腐れや病気の温床になるため、この「乾かす」管理こそが、高品質なシクラメンを育てるための基本であり、最初の秘訣なのです。
2. プロの常識は『下から』。病気を防ぐ最大の秘訣、底面給水
家庭でシクラメンに水やりをする際、多くはジョウロで鉢の上から水を与えるでしょう。しかし、全国の大規模な生産施設において、この方法は主流ではありません。プロの世界では、「底面給水」が圧倒的なスタンダードとなっています。

底面給水とは、鉢の底に設けられた穴から水を吸わせる方法です。なぜこの方法が徹底されているのか。その最大の理由は、病気の予防にあります。シクラメンにとって最も危険な病気である「灰色かび病」や「軟腐病」は、株の中心にある球根や葉の付け根(クラウン部)が濡れることで発生リスクが急激に高まります。上からの水やりでは、どうしてもこの部分を濡らしてしまいがちです。もちろんプロの生産者はその部分をきちんとケアしています。
底面給水であれば、株を一切濡らすことなく、根が必要な分だけ水を吸い上げるため、病気の発生を根本から防ぐことができるのです。これは、生産効率と品質を両立させるための、プロの合理的な選択と言えるでしょう。
3. 根にも酸素を。開花を早める『溶存酸素』という裏ワザ
水は水でも、その「質」にまでこだわるのがプロの世界です。奈良県農業技術センターの研究により、非常に興味深い事実が明らかになりました。それは、底面給水で与える水に含まれる「溶存酸素」の濃度を高めることで、シクラメンの開花を早め、生育を向上させられるという発見です。
植物の根も呼吸をしており、酸素を必要とします。特に、水に浸された状態が続く根の周辺、いわゆる「根圏部」は酸素不足の嫌気状態に陥りやすく、それが生育遅延の要因となります。そこで、給水用の水に酸素を送り込んで溶存酸素濃度を高めると、根の呼吸が活発化し、結果として開花が促進されるのです。しかし、この技術にはトレードオフが存在します。長期間にわたる高濃度処理は根の生育を旺盛にする一方で、観賞時に葉が黄色くなる「黄化葉」の発生率を増加させる傾向があるのです。そのため、生産者は過湿になりやすい夏場に限定して処理を行うなど、開花の促進と品質維持のバランスを巧みに調整しています。
4. 出荷前には炭酸ガスを。家庭での花持ちを良くする驚きの仕上げ
生産者が出荷前に行う最後の仕上げにも、消費者の手元に届いた後のことまで考え抜かれた科学技術が隠されています。これも奈良県農業技術センターの研究によるもので、出荷前の3週間、ハウス内で「炭酸ガス」を施用するという驚きの方法です。
またその際に、愛知県の資料ではCO2を夜明けから天窓換気までの間、1000~1200ppm程度で実施を推奨していました。
植物が光合成に二酸化炭素を必要とすることは広く知られていますが、これを出荷前の仕上げに応用するのです。この処理を施されたシクラメンは、家庭などの室内環境に置かれた後、その品質が格段に向上します。具体的には、花が長持ちする「日持ち性」が改善され、観賞期間中により多くの花を維持し、さらに葉が黄色くなる「黄化葉」の発生も抑えられることが分かっています。これは、私たちが購入する美しいシクラメンが、より長くその姿を保てるようにと施された、見えない技術なのです。
結論:単なる花ではない物語
店頭に並ぶ一鉢のシクラメン。それは単なる美しい植物ではありません。種がまかれてから約1年、生産者の深い知見と経験、そして「乾かす」「下から吸わせる」「酸素を巧みに与える」「炭酸ガスで仕上げる」といった、一般の常識とは少し違う、科学的で緻密な管理の積み重ねによって生み出された芸術品です。
次にあなたが美しいシクラメンを目にするとき、その花びらの奥に隠された、1年にもわたる生産者の情熱と科学の物語を少しだけ想像してみてはいかがでしょうか。それは、現代の園芸において美しさが単に育てられるだけでなく、いかに緻密に設計されているかを物語っています。


