何度か言及してきた「みどりの食料システム戦略」。
2050年までに、地球と人にやさしい資源循環型の農業を確立させようみたいな目標がありそうですが。
でも、「減少していく農家の減り幅を食い止めながら」「資源循環型社会を確立」って大変そうだなと感じるわけです。
なぜなら、そこには矛盾点があるから。
「みどりの食料システム」の取り組みの一つに、「環境にやさしい持続可能な消費の拡大や食育の推進」があります。
その中で、「食品ロスの削減など持続可能な消費の拡大」が求められ、そのための取り組みとして「外見重視の見直し等、持続性を重視した消費の拡大」が提案されています。
これは、相反する事象がシーソーゲームをしている感覚を覚えるのです。
規格外野菜をなぜ売らないか
まず、国内の野菜の流通においては、都道府県やJAから厳格な規格が定められています。形が悪い、色が薄い、傷があるなどの商品は規格外とされ、流通市場には入ってきません。それ以外にも、規格内商品でさえ価格調整のために出荷されないケースがあります。
出荷されることなく破棄された野菜は、廃棄野菜にさえ計上されません。
めちゃくちゃロスです。地球的に。
しかし農家的にも、あんまり売るのは好ましくない。なぜなら、
①一件あたりの農家の出荷量として考えると、規格外の量は少ない。あるとしても5〜10%で、それを分けて収穫し、出荷する手間を考えるとやらない選択肢が勝つ。
②市場価格を下げてしまう。規格外野菜を安く流通させると、需要がある程度満たされてしまい、規格内商品の価値まで下がってしまう。それは困る。
③畑に返せば土づくりの役に立つから。潰して土に混ぜてしまうと、地面の中にいる微生物の餌となってくれる。
などなど、規格外野菜を流通させないことにも意味があります。
規格外野菜を個別に流通させることは、農家の存続にも関わってくる気がしてしまうのです。
美醜の基準を変えたらいいかというとそうでもないような
「外見重視の見直し等、持続性を重視した消費の拡大」という一文が見られますが、「外見重視だから規格を作ったか」というと、そうでもない。
なぜなら規格が目指すのは流通の合理化だから。
野菜の規格は、昭和48年に「野菜の全国標準規格」と「野菜標準規格普及指導事業」が制定されたことが始まりですが、平成13年に「野菜標準規格普及指導事業」は廃止されています。安い輸入野菜に対抗するためです。
しかし、結局大量生産、大量流通を可能にするためには「形や大きさを揃えて省スペースでたくさん運べて、たくさん売れるように」規格をそろえる必要が出てきます。だから現代でも規格は大いに必要とされています。
そして流通においては、2024年問題が迫っています。ここで突然「今まで規格外とされていたものでも、長持ちして食べられるものなら売りましょう!」となったところで、「こんなバラバラの形とサイズじゃ運べない」「スペースを使い過ぎて売りにくい」など問題が出てきそう。あと大きさ別に値段を分けてつけるのも残業しなきゃ無理っぽい。
あれ、環境に優しくなくなってきます。
割れたキャベツをもらうたびに色々噛み締める
近隣にキャベツ農家が多い地方在住のため、天候の関係で数十個のキャベツが無駄になり、「割れてしまって販売できないので、もらってください」と配っていらっしゃる生産者産をお見かけしたことがあります(そして2玉もいただきました。ありがとうございました)。
破棄されるはずだったキャベツをもらう、食べる、その資源循環は「環境に優しいだろう」と思うものの。
でも、「タダでもらう」ということは、自分がスーパーで数百円を払って買うはずだったキャベツの存在が消えるこということです(すいません。見栄をはりました。キャベツは1玉100円台の時しか買いません)。市場の需要を減らし、市場の均衡が崩れます。この2玉分、どこかのキャベツ農家の収益が消えています。いや、数十個積まれていたキャベツ分の収益が消えています。
破棄されるはずの規格外野菜を消費することが、正しい資源循環なのかどうか?
この世はなかなかに難しいです。
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